時間割

Passing Time

03/18/24(Mon)

  • 大学の中で行われる小さなトークイベントが終わった。何度この種のイベントをやっても思うけれど、イベントをハンドルすることとその場でのディスカッションにインパクトを与えうることを同時にやるというのはなかなか難しい。
  • ちょうど10日前くらい(つまり3.11前後だけれど)に仙台にやって来たセウォル号のサバイバーと話す機会があって、たとえば彼女の妹はちいかわのラッコが好きなんだけど韓国ではラッコのグッズはあまり売っていないのだ、というようなある意味ではどうでもよい話とかをしていただけなんだけど、彼女が何かのはずみで「今日はいろんな人が自分の言うことに耳を傾けてくれたけどこんなことが起こるなんて思ったことはなかった。ネットのトロールたちが自分に対して『お前は特別なところなんてないただの人間なのに事故の経験を売り物にしている』ばかり言うので、自分もそうなんじゃないかとうっかり信じてしまうところがあったけれどそれは違うのかもしれないと今日思った』ということを語ってくれて、この人が経験してきたことは本当に地獄のようなものだったんだなと思ったりした。今日のトークではなぜかこの話を思い出していた。
  • つまり私たちは誰かに出会うときに、たとえばその人が事故のサバイバーであるとか、在日コリアンであるといった社会的属性からその人が抱いている考えを推論してしまうことがあり、そうした実践的推論はある程度社会生活を営むうえで不可避なところもあるのだが、しかし同時に真の意味でその人が何を考えているのかということを知るためにはそうした人々自身が言っていることに耳を傾ける必要があるのだろうということを考えたりした。たとえば芸術がそのような通常の推論からはこぼれ落ちるものを掬い上げることができたらいいということをさらに思ったりもした。
  • 大阪駅前ビルで行われた打ち上げでビールを3杯飲んでからさらに2次会で薄いハイボールなどを2杯くらい飲んだので、帰ってから風呂にも入らずに眠ってしまった。