03/19/24(Tue)
- 一日中新しい職場の説明会でめちゃくちゃ疲れていた。そもそも何時からどの会場で始まるのかがわからなくて若干ダラダラしていたら朝10時からスタートらしいことが過去のメールを読むことで発覚し、最寄駅まで走ったりして余計に疲れた。
- 基本的にSNSで発信している大学教員には碌でもない人が多いし、自分ももしかしてああなるのかと思うと嫌な気持ちになるのだが、しかし自分一人のための研究室を持てるというのはそれでもいいものである(なんかそんな感じのことが『ノルウェイの森』で突撃隊がいなくなった後の主人公の感慨としても書かれていたような気がする)。
- よく考えたら今年でちょうど大学院を出てから10年経ったのだった。もっとも大学院を出てからも4年くらい博士論文を書いていたのでこの区切りに何か深い意味があるわけではないのだが。
- ストレスからサイゼリヤで(パスタとポテトなどを)暴飲暴食してしまったので明日から節制していこう。とりあえず久しぶりにサウナにでも行ってスッキリするか。
- 金曜日の仕事のためにサイゼで新しく翻訳されたクーンの『科学革命の構造』を読み始めた。
03/18/24(Mon)
- 大学の中で行われる小さなトークイベントが終わった。何度この種のイベントをやっても思うけれど、イベントをハンドルすることとその場でのディスカッションにインパクトを与えうることを同時にやるというのはなかなか難しい。
- ちょうど10日前くらい(つまり3.11前後だけれど)に仙台にやって来たセウォル号のサバイバーと話す機会があって、たとえば彼女の妹はちいかわのラッコが好きなんだけど韓国ではラッコのグッズはあまり売っていないのだ、というようなある意味ではどうでもよい話とかをしていただけなんだけど、彼女が何かのはずみで「今日はいろんな人が自分の言うことに耳を傾けてくれたけどこんなことが起こるなんて思ったことはなかった。ネットのトロールたちが自分に対して『お前は特別なところなんてないただの人間なのに事故の経験を売り物にしている』ばかり言うので、自分もそうなんじゃないかとうっかり信じてしまうところがあったけれどそれは違うのかもしれないと今日思った』ということを語ってくれて、この人が経験してきたことは本当に地獄のようなものだったんだなと思ったりした。今日のトークではなぜかこの話を思い出していた。
- つまり私たちは誰かに出会うときに、たとえばその人が事故のサバイバーであるとか、在日コリアンであるといった社会的属性からその人が抱いている考えを推論してしまうことがあり、そうした実践的推論はある程度社会生活を営むうえで不可避なところもあるのだが、しかし同時に真の意味でその人が何を考えているのかということを知るためにはそうした人々自身が言っていることに耳を傾ける必要があるのだろうということを考えたりした。たとえば芸術がそのような通常の推論からはこぼれ落ちるものを掬い上げることができたらいいということをさらに思ったりもした。
- 大阪駅前ビルで行われた打ち上げでビールを3杯飲んでからさらに2次会で薄いハイボールなどを2杯くらい飲んだので、帰ってから風呂にも入らずに眠ってしまった。
03/17/24(Sun)
- 最近6時前とかに目が覚めてしまうのはなぜだろう。韓国でしばらく暮らしたせいかと思っていたが、別に時差はないしそもそも韓国に行く前からこういう感じだったらしい。
- 思いつきで始めたこのブログだが、実はブログタイトルの元ネタのビュトール『時間割』はきちんと読んだことがなかったので(しかしなぜかそれについて聞いたことはあった)今更ながら注文しておいた。
- 明日大学のなかで行われる小さなトークイベントの準備を進めることにする。昨日友人から聞いたんだけど、複数のタスクを並行して進めなくてはならないんだけど集中力がないタイプの人(まあ僕のことだが)は、単に締切日を確認するだけではなく、カレンダーアプリに「この時間からこの時間まではこれをやる」というタスクを割り振るといいらしい。まあ韓国でのワークショップ準備のときにそれをやってもあんまり上手くいかなかったけどね……。
- あと1週間で紀要に載せてもらうCritical Reviewのようなものの校正の締切が来るということを思い出した。『時間割』が届くのは今度の土曜日あたりらしいので、校正の作業が終わったらそれを読み進めていくということでいいか。
- 日曜日なのに大学の硬直したシステムとの戦いを繰り広げていたのだが、いかなるシステムであってもそれを末端で担っている人はプライドと感情を持った人間だという点はなんだか面白い気がするね。